「笑う力」の意味

「笑う」ってすごく力のいることだと思う。なぜそんなことを思うようになったか……。
まず、自分の父親の最期を見てそう思った。末期の肺がんだった父はモルヒネを拒否した。最後までベッドの周りにいる家族、近しい人の顔を見ながら死にたいと。
「眠らされたまま、知らんうちに死ぬのは嫌や。ガンかてわろて死ねるんや」
と。かなり苦しかったと思うが、父はほぼ言葉通りに笑って逝った。
「笑う力」はどこから生まれてくるのだろうか。そんな疑問、思いが生まれた。その思いは次第に「笑い」そのものに向いていった。
いろんな人の暮らしの現場に入り、いろんな話を聞いた。そうして、

どんな逆境にあっても、どんなに悲しくて辛くても、人は笑う。笑う力は生きるエネルギーとなり、人は生きていく。

そう思った。

だけど歳を重ね、病を得て、障害を得て、さまざまな困難に見舞われ、次第に「笑う」ということを忘れてしまった人もたくさんいた。それでも笑う力は残っているのだ。人は人の力で「笑う力」を呼び起こされる。どんなに重い障害があっても、難病があっても、歳を取っても、死を目前にしても、人と一緒にいることで「笑う力」が湧き起こってくると。

逆にひとりぼっちだと笑は消える。
あるアルツハイマー型認知症のおばあさんと長い時間一緒に過ごした。だれもが彼女は笑わない、笑えないと思っていた。悲しい表情、苦しい表情、怒りの表情は出るのに、笑顔だけがないと。だけどまわりに人がいると、話しかけられると、表情が緩む瞬間がたくさんあった。彼女は微かだが笑っていると思った。表情には出ないが、こころはうれしいんだと。

どんな逆境にあっても、どんなに悲しくて辛くても、人は笑う。
笑う力は生きるエネルギーとなり、人は生きようとする。
そして、人と一緒にいることで、その力は強くなる。

そんなことを写真を通じて知らせていきたい。