僕の中身

夜中ふと目が覚めた。時計を見ると午前3時。そのまま寝付けなくなったので、星でも眺めてみようかと2階のベランダに出た。夜景が水彩画のように滲んでいた。霧だ。街灯のあるあたりは白く浮かび上がり、周辺に向かって少しずつ灰色が濃くなりやがて闇になる。遠くの街の灯りはさまざまな色に滲み、いつもの街並みはまったくわからない。そこにあるはずのものは何も見えない。霧の中で息を潜めている街を想像するばかりだ。

あの滲んだ灯りの下で、僕のようにこちらを見ている人がいるかもしれない。彼には僕の街も僕の姿も滲んで見えないのだ。でもそこにはたしかに寝静まった街があり多くの人々がいるのだ。見えていることなど大した問題ではないのかもしれないな。

鹿児島で京都を想うとき、逆に京都で鹿児島を想うとき、見えていないのに街並みも人々もちゃんと見えている。会いたい人たちは、それぞれの場所でみんな頑張っている。そう思えるし、そう思うと彼らの元気な姿が見えるし声も聞こえる。見えないことも大した問題じゃない。

〈幻想的だな……〉しばらく風景に見とれていた。

が、突然思った。いったい、僕の中には何があるのだろうと。ここまで生きてきて、僕は何を見て何を蓄積してきたのか。見えないものから何を得てきたのか。そんなことが皆目わからないのだ。そろそろちゃんと可視化しないと手遅れになっちゃいそうだな。いままで人生いい加減に生きてきたんだしこの歳で自分探しでもないか。
闇に向かって自嘲した。吐く息が白くなり霧に溶けていった。

本コラムは〈揺れて歩くニュース vol.71〉に掲載されたものです

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