僕の中身

夜中ふと目が覚めた。時計を見ると午前3時。そのまま寝付けなくなったので、星でも眺めてみようかと2階のベランダに出た。夜景が水彩画のように滲んでいた。霧だ。街灯のあるあたりは白く浮かび上がり、周辺に向かって少しずつ灰色が濃くなりやがて闇になる。遠くの街の灯りはさまざまな色に滲み、いつもの街並みはまったくわからない。そこにあるはずのものは何も見えない。霧の中で息を潜めている街を想像するばかりだ。

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家族の日常

2月の終わり大阪で〈「揺れて歩く ある夫婦の一六六日」最終章〉というタイトルの写真展をすることになった。そのこともあって版元の出版社では本に挟み込む栞をつくってくれることになった。父の死後、ひとりきりになった母が詠んだ歌20首と日記の一文、さらに僕から母へのメッセージという構成だ。

メッセージか……。母が亡くなってそんなに時間が経ったわけでもなく、母のこと、父のこと、家族のこと、いろんなことになかなかけりをつけられずにいるのに……。

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しみてつ10大ニュース2022

さて今年はどんな年だったか……、そんなことを振り返る時期だ。物心ついた頃から誰しもそんなことをしてきたのではないだろうか。1年を振り返って、来年はもっといい年にするぞと形だけでもつけるように。
ところが年をとってくるとどうだ。時間の経つのが速すぎて振り返っている暇もない。振り返ったとしても今年のことか去年のことか……。さっぱりだな。これを耄碌(もうろく)というのだろう。そんなことでここ数年、振り返るなどということをやめてしまった。
これじゃ老け込む一方だなと、はたと思った。ということで今年はやってみようかと。

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最高の笑顔、最強の居酒屋

環状線京橋駅から薄暗いガードを潜り、歩いて2分ほど。墓地を見下ろす道路の上にその店、京橋居酒屋とよはある。いわゆる店舗ではない。屋台でもない。厨房こそしっかりとした屋根と日除けのテントに守られているが、客が飲み食いをする場所は頼りなげな波板屋根に覆われているだけだ。露店といってもいいだろう。もちろん椅子などはない。そんな店に長蛇の列ができるのだと聞いて、面白半分で出かけた。まぐろの刺身やホホ肉のあぶり、うに、いくらなどがとびきり美味いそうだ。「最強の居酒屋」だと呼び声も。

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心が痛い

枝の折れたクリスマスツリー

年末だからと仕事場の片付けをした。ガラクタを突っ込んだ段ボール箱の中に、15センチに足らないガラス製のクリスマスツリーを見つけた。枝の一つひとつにガラス製の飾りをぶら下げる。枝の数だけ飾りも出てきた。小さいけれどちゃんとしたツリーだ。
だけどクリスマスツリーなどを飾る柄じゃない。自分でもそんなことわかっていたけど、自分とクリスマスツリーのギャップがなんとなく面白いな、みんななんと言うかな、笑うかななどと少々いたずら心みたいなものが働いて、仕事場の片隅に飾ることにした。大きいのよりもこれくらいのをさりげなく飾っておくのが、ちょうどいい。そんなことも思った。だってぼくには信仰なんてないから。埃を払って飾り棚に置いた。ガラスの枝が1本折れていた。妙に心が痛い。
そもそも敬虔な門信徒の祖母に育てられて、子どもの頃からクリスマスとは縁がなかった。
「あれはよその神さんのお祭り」だと。
だから、少々大人になって信仰から遠く離れた年中行事のひとつとして、こんなふうにツリーを飾るようになった。身近に子どもたちがいれば、家族の行事としてクリスマスを祝ったかもしれない。プレゼントやケーキを準備したり、サンタクロースになったり、彼らと一緒にパーティだとはしゃいだかもしれない。しかし、いろんなことがあり彼らが幼い時に家を出たぼくには、そんな思い出もない。

立派なプロ

久しぶりに懐かしい劇場の前を通った。若い頃何度か世話になったことがある。開場までまだ時間がある。おじさんがひとり年末年始の催し物の看板を作っていた。「素人大会」だそうだ。お兄さんがひとり、立ち止まって看板に見入っている。
写真を撮るぼくに近寄ってきた。文句でも言われるのかとちょっと身構えたが、にこやかに話しかけてきた。
「素人ってなんなんでしょうね」
と。
「なんなんでしょうね」
と答えたが、逆にプロのストリッパーってなんなんだろうと思った。

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小さな風景の小さな物語

日曜日の朝だった。抜けるような青空だった。こんな日は何かいい風景に出会えそうだ。カメラをぶら下げて散歩に出た。
目の前を親子が歩いている。男の子は2歳くらいだろうか。頼りない足取りだが、父親をリードするかのように前に進む。理由はなかったが後をついていくことにした。大きな通りを渡ったところで、何かにつまずいたのだろうか、男の子がパタっと転んだ。思わずシャッターを切った。男の子はうつ伏せに転んだまま両の掌を顔に当ててじっとしていた。泣き出すのじゃないだろうかとファインダー越しにハラハラしていたが、父親が手を差し伸べるとすくっと立ち上がった。そうして自分でズボンの膝小僧あたりをパタパタとはたき、また元気に歩きはじめた。ふと短い物語が思い浮かんだ。

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笑う力

Wさんは96歳。家族は主治医から生きられてもあと2カ月だと告げられた。娘さんから写真を撮って欲しいと依頼があった。その日にあわせて孫たちも呼ぶからと。Wさんは僕の母が入居していたホームで暮らしている。母の隣人だった人だ。母98歳、Wさん96歳。人生のベテラン同士の友人だ。去年の正月は一緒にお祝いもした。その時は母もWさんも笑顔で鍋をつついていた。寝たきりで笑うこともできないかもしれないと聞かされたが、僕はどうしても笑顔が撮りたいと思った。

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父の魂

父が家業を店仕舞した直後のことだ。指物師(木工職人)だった父は「これも時代の流れやわい」と淡々と店を片付け道具を片付け、小さな店を手放した。後に残った道具たちは、新聞紙に包まれて倉庫の奥に仕舞い込まれた。「もう二度と日の目を見ることもないやろ。俺が逝ったら処分してくれたらええ」と。

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僕は幸せだったんだ!

多分小学校4年生の正月前だったと思う。父がミニチュアカメラを買ってくれた。小さなフィルムを入れる機械式カメラだったが、手のひらにすっぽり入るくらいの大きさのかわいいカメラだった。でも僕にとっては欲しくて欲しくてたまらないカメラだった。父は大の写真好き、いやカメラ好きで、ずいぶんたくさんカメラを持っていた。僕は父に内緒で、そのカメラを持ち出しおもちゃにしては叱られていた。そのうちに自分のカメラが欲しいと思うようになっていたのだ。だから今にして思えばおもちゃのようなものだけど、僕にとっては待望のカメラだった。

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