心が痛い

枝の折れたクリスマスツリー

年末だからと仕事場の片付けをした。ガラクタを突っ込んだ段ボール箱の中に、15センチに足らないガラス製のクリスマスツリーを見つけた。枝の一つひとつにガラス製の飾りをぶら下げる。枝の数だけ飾りも出てきた。小さいけれどちゃんとしたツリーだ。
だけどクリスマスツリーなどを飾る柄じゃない。自分でもそんなことわかっていたけど、自分とクリスマスツリーのギャップがなんとなく面白いな、みんななんと言うかな、笑うかななどと少々いたずら心みたいなものが働いて、仕事場の片隅に飾ることにした。大きいのよりもこれくらいのをさりげなく飾っておくのが、ちょうどいい。そんなことも思った。だってぼくには信仰なんてないから。埃を払って飾り棚に置いた。ガラスの枝が1本折れていた。妙に心が痛い。
そもそも敬虔な門信徒の祖母に育てられて、子どもの頃からクリスマスとは縁がなかった。
「あれはよその神さんのお祭り」だと。
だから、少々大人になって信仰から遠く離れた年中行事のひとつとして、こんなふうにツリーを飾るようになった。身近に子どもたちがいれば、家族の行事としてクリスマスを祝ったかもしれない。プレゼントやケーキを準備したり、サンタクロースになったり、彼らと一緒にパーティだとはしゃいだかもしれない。しかし、いろんなことがあり彼らが幼い時に家を出たぼくには、そんな思い出もない。

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