笑顔を奪われて

笑いたいのに笑えない人もいた。ALS患者のマイクさんだ。
ALSはようやく解明が進んできた難病のひとつ。発症すると次第に全身の筋肉が衰え死に至る恐ろしい病気だ。確立された治療法はない。ALSだと診断されると、平均的な話だがおよそ2年から5年で死に至る。気管切開をして人工呼吸器をつけ呼吸管理をして20年以上生き続けたという例もある。しかしベッドの上に寝たきりで、微かに身体を動かすこともできず、コミュニケーションすることもできない。患者はただただ自分の中に閉じ込められるのだ。
マイクさんはALSと診断されてから、この「閉じ込め症候群」と呼ばれる状態を恐れ、その前に自ら命を断つ「安楽自死」を求めた。そうなれば恐ろしいほどの孤独に見舞われ、その上家族にとんでもない苦労を強いることになるからだ。だが彼の望みはこの国の法制度では決して許されるものではなかった。

マイクさんは考えた。それなら呼吸器をつけず、一切の延命措置を拒み、自然に逝くことを望んだ。その上で最後までALS患者として情報を発信し、社会と関わり続けようと。
指が動く限りキーボードを打ち、それができなくなると文字盤を目で追い、可能な限りの表情で考えや思いを伝える。手を握る強さで思いを伝えることも。しかしやがてそれもできなくなった。
マイクさんは自分がALSだと分かった時、孫娘に懇願した。笑顔になれる間に遺影にする写真を撮ってくれないかと。やがて失うであろう笑顔の写真を撮って欲しいと。笑顔を失う。笑顔になれない。病に笑顔を奪われるのだ。それはどんな気分なのだろうと想像すると、誰もがやりきれない思いになった。以来孫娘はマイクさんの残りの日々を撮り続けた。彼女が撮りはじめてしばらくは笑顔の写真も多かった。しかし次第に笑顔は消えていく。それはぼくが撮った写真でもそうだ。
でも、家族には通じている。
「お父さん、この時笑ってたよね」
「うん、おじいちゃん、笑ってた」
それはすべて妻がそばにいたり、家族が手を取ったり、語りかけたりしている写真なのだ。いてほしい人がそばにいる。その喜びが笑顔になるのだ。