お母さん大好きだよ

彼女は87歳。10年前にアルツハイマー型認知症だと診断された。鹿児島市内の自宅に暮らしている。若い頃はアスリートとして活躍し、70歳を過ぎても仕事やボランティアに汗を流していた。
認知症だと診断された時、家族はにわかに信じられなかった。あんなに快活で元気だった人が……。そんな思いだった。だが病魔は確実に彼女を蝕んでいった。暮らしのすべての場面で誰かの手を借りなければならなくなった。さらに何度か脳梗塞の発作を起こし、今では車椅子が手放せなくなってしまった。
しかし、家族を含め周囲の献身的な介助・介護もあって、彼女の発症後の人生は決して不幸ではない。問題は、
「母の気力ですよね」
と娘さんは言う。
認知症は、物忘れが激しくなり、理解し判断することが難しくなり、身の回りのことができなくなる。さらに憂うつでふさぎこみ、何をするのも億劫になるという。あらゆることに対する気力が失われるというのだ。つくづく認知症は恐ろしい病気だと思った。

「食べること、装うこともそうだけど、何かをしようという意欲、気力がまったく湧かないのです。笑うこともそのひとつかもしれない」
意欲が湧かないだけではなく、彼女は食べることを拒むようになった。そうして行動的で朗らかな人だったのに笑顔のない日が増えたそうだ。家族の心配、不安は募る。
だが誰一人として「どうして食べないの!」「食べないと体に悪いよ!」などと強く迫る者はいなかった。介助・介護に訪れるヘルパーや看護師たちを含めてだ。
食事やおやつには彼女が好きなものを準備した。大好きだった歌番組を見ながら一緒に歌をうたったり、花が好きだったからと季節の花の話をしたり。暮らしのあり方をできるかぎり彼女中心にした。
医師によると、認知症の患者は些細なことで腹を立て怒りっぽくなるというが、彼女にはそういう傾向は見られないと。時には一緒に歌を口ずさもうとしたり、お饅頭を頬張ったり、庭に咲く花を指さしたり、たどたどしいが昔の楽しかった思い出話をしたり……。娘さんは言う「認知症患者である前に家族ですからね。食べんね、笑わんね、ちゃんとせんねと言う前に、お母さん大好きだよという思いで一緒に暮らしています」と。
その時黙って話を聞いていた彼女が微かに笑った。いや、ぼくにはそう見えた。