大きな木はいいなあ

大きな木はいいなあ。どんなことがあっても動じない。どっしりと根を張り、悠然とそこにある。時には日差しから、時には風から、嵐から、人を守ってくれる。ガジュマルは風守る、だからそんな名前がついた。ガジュマルだけじゃない。木はずっと、森はずっと、地球を守り人に寄り添い続けてきた。

種子島の国上に湊という集落がある。ここには大きなガジュマルが家々を守るように生きてきた。人は暮らしの様々な場面でそこに集まり、言葉を交わし笑顔を交わして暮らしてきた。ガジュマルは暮らしを見つめ時を刻んできた。その木はそこにあって当たり前だと誰もが思っていた。

ある年、ふたつの大きな台風が種子島沖に何日も停滞し、島のいたるところに大きな被害を残した。湊のガジュマルもあちこちの枝が折れ、半分ほどの大きさになってしまったように見えた。だけど、ガジュマルの背後にあった家々はほとんど被害を受けなかったと聞いた。ガジュマルは身を呈して人々を守ったのだ。「風守る」だ。
人と木と森はそんな関係だったのだろう。

その関係は人が木や森を「資源」と呼ぶようになって一気に変化した。
木や森は消費の対象となり、消費の価値のない木や森は放置されて荒れ果てる。
大きな木を伐り倒しす人間は、自分こそが支配者だと思い込む。だけど彼は自分で自分の首を絞めていることに気づいていない。

権力も同じ。権力を持つことで、何でもかんでも自分の思うようになると思い込む。権力というのはそういうもの。地球のあちこちで、権力者は国民を、国民の命を自分の所有物のように消費している。他国に対しても同じ。利害のために人の命を平気で消費している。
権力は人としての正常な感覚を麻痺させてしまうのだ。
権力を持っている人にすすめたい。たまには大きな木の下でのんびりしてみなよ、って。どれだけ自分が守られてるか、どれだけ自分がちっぽけか、よくわかるはずだから。

大きな木はいいなあ。大きな木になりたい。
種子島、湊のガジュマルは今日も人々の笑顔とともにあり、時を刻んでいる。

ガジュマルの木の下で@湊 種子島西之表市国上

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