立派なプロ

久しぶりに懐かしい劇場の前を通った。若い頃何度か世話になったことがある。開場までまだ時間がある。おじさんがひとり年末年始の催し物の看板を作っていた。「素人大会」だそうだ。お兄さんがひとり、立ち止まって看板に見入っている。
写真を撮るぼくに近寄ってきた。文句でも言われるのかとちょっと身構えたが、にこやかに話しかけてきた。
「素人ってなんなんでしょうね」
と。
「なんなんでしょうね」
と答えたが、逆にプロのストリッパーってなんなんだろうと思った。

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小さな風景の小さな物語

日曜日の朝だった。抜けるような青空だった。こんな日は何かいい風景に出会えそうだ。カメラをぶら下げて散歩に出た。
目の前を親子が歩いている。男の子は2歳くらいだろうか。頼りない足取りだが、父親をリードするかのように前に進む。理由はなかったが後をついていくことにした。大きな通りを渡ったところで、何かにつまずいたのだろうか、男の子がパタっと転んだ。思わずシャッターを切った。男の子はうつ伏せに転んだまま両の掌を顔に当ててじっとしていた。泣き出すのじゃないだろうかとファインダー越しにハラハラしていたが、父親が手を差し伸べるとすくっと立ち上がった。そうして自分でズボンの膝小僧あたりをパタパタとはたき、また元気に歩きはじめた。ふと短い物語が思い浮かんだ。

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笑う力

Wさんは96歳。家族は主治医から生きられてもあと2カ月だと告げられた。娘さんから写真を撮って欲しいと依頼があった。その日にあわせて孫たちも呼ぶからと。Wさんは僕の母が入居していたホームで暮らしている。母の隣人だった人だ。母98歳、Wさん96歳。人生のベテラン同士の友人だ。去年の正月は一緒にお祝いもした。その時は母もWさんも笑顔で鍋をつついていた。寝たきりで笑うこともできないかもしれないと聞かされたが、僕はどうしても笑顔が撮りたいと思った。

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父の魂

父が家業を店仕舞した直後のことだ。指物師(木工職人)だった父は「これも時代の流れやわい」と淡々と店を片付け道具を片付け、小さな店を手放した。後に残った道具たちは、新聞紙に包まれて倉庫の奥に仕舞い込まれた。「もう二度と日の目を見ることもないやろ。俺が逝ったら処分してくれたらええ」と。

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僕は幸せだったんだ!

多分小学校4年生の正月前だったと思う。父がミニチュアカメラを買ってくれた。小さなフィルムを入れる機械式カメラだったが、手のひらにすっぽり入るくらいの大きさのかわいいカメラだった。でも僕にとっては欲しくて欲しくてたまらないカメラだった。父は大の写真好き、いやカメラ好きで、ずいぶんたくさんカメラを持っていた。僕は父に内緒で、そのカメラを持ち出しおもちゃにしては叱られていた。そのうちに自分のカメラが欲しいと思うようになっていたのだ。だから今にして思えばおもちゃのようなものだけど、僕にとっては待望のカメラだった。

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種子島の夜がさみしくなる

好きな店だった。夕方5時になるとトン太郎と黄色く染め抜いた暖簾がかけられた。真夏でもおかまいなく分厚い木綿の暖簾だったので、「暑苦しいな」などと大将に言ったものだ。すると大将はきまって、にこっと笑って「あれしかないよ」と応えた。店の中から薄青い灯りが漏れるように道を照らす。玄関脇のアコウの木が、ここが南国であることを教えてくれる。

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思い出という命

NHKBSで「コズミック フロント」という番組を見た。「カーボンプラネット 炭素と地球 知られざる物語」と題し、地球は巨大な炭素循環によって成り立っていることが分かってきたという内容だった。
地球の生命誕生の起源を探ると、炭素という原子にたどり着くそうだ。極低温の液体、地球の場合は水、の中で炭素が複雑な化学反応を起こし、生命が生まれたと。

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馬毛島遠望

「私はもうよそ者ですから……」
原田誠一さん(55歳・仮名)は力のない笑いを浮かべた。自嘲気味というのがいいかもしれない。
実際に馬毛島(まげじま)に住んでいた人を、鹿児島市内でようやく見つけたのが彼だった。彼は昭和41(1966)年馬毛島で生まれ、昭和55(1980)年4月21日の全島引き上げまでの14年間をそこで過ごした。

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