「ぼくはずっとしあわせのはんたいがわにいた」
右足の親指でキーボードをひとつずつゆっくり打ち込み、機械の音声がそれを読み上げる。彼はそうやって会話する。彼は生まれた時から重い障害を持つ。車椅子でなら座っていることはできるが、自由に動くのは右足だけだ。もちろん言葉を発することはできない。
彼は絵描きだ。鹿児島県美術展に何度も入選した経歴を持つ。れっきとしたアーチストだなのだ。だが彼は「幸せの反対側」にいたのだ。「不幸だった」と言わないのは、献身的に支えてくれる家族がいたり、友人や作業所のなかまがいたからだ。
だけど世間の目は彼に対して厳しかった。「何もできない障害者」なのだ。社会で保護すべき存在なのだ。彼のことを知らない人は、彼が絵描きだと聞いてにわかには信じない。だが彼はれっきとしたアーティストなのだ。創作だけではない。絵を仕事としている。
「笑う力」の意味
「笑う」ってすごく力のいることだと思う。なぜそんなことを思うようになったか……。
まず、自分の父親の最期を見てそう思った。末期の肺がんだった父はモルヒネを拒否した。最後までベッドの周りにいる家族、近しい人の顔を見ながら死にたいと。
「眠らされたまま、知らんうちに死ぬのは嫌や。ガンかてわろて死ねるんや」
と。かなり苦しかったと思うが、父はほぼ言葉通りに笑って逝った。
「笑う力」はどこから生まれてくるのだろうか。そんな疑問、思いが生まれた。その思いは次第に「笑い」そのものに向いていった。
いろんな人の暮らしの現場に入り、いろんな話を聞いた。そうして、
どんな逆境にあっても、どんなに悲しくて辛くても、人は笑う。笑う力は生きるエネルギーとなり、人は生きていく。
そう思った。
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