夜空の向こうで

「思い出さえあったらいつでも会える」これはあなたの口癖でした。
両親、兄弟、多くの知人友人を見送り90歳を過ぎ、そうして92歳で最愛の夫を見送りました。95歳で可愛くて仕方のなかった孫、曽孫と別れ、住み慣れた京都から鹿児島に移り住みました。さみしくないかと問うと、
「出会うことがあったら必ず別れはある。けど、思い出さえあったらいつでも会える」と笑って答えました。「心の中にみんな生きてる。みんな笑うてる。そやし大丈夫や」と。
さみしいとこぼすこともなく、あなたは日々を大切に前向きに生きていました。でも、ほんとうはお父ちゃんが恋しくてどうしようもなかった。京都が恋しくてたまらなかった。さみしかったのですね。ごめんね、気づいてあげられなくて。

ぼくがそのことにようやく気づいたのは、あなたが大好きだった孫が遥々訪ねてくれた時のこと。彼女の顔を見て、あなたは周囲を気にすることなく声をあげて泣きました。
「生きてるうちに会えてよかった」
と。人は悲しいから泣くだけではない。歓喜もすぎると涙を呼ぶ。それもまた「笑う力」になるのだと思った瞬間でした。
その日のあなたの笑顔は、鹿児島でそれまで見せたことのなかった、ほんとうにうれしそうな笑顔でした。あんなに楽しそうにご飯を食べるあなたの笑顔、久しぶりに見ました。
96歳を迎えたお正月、あなたにたずねました。生きるとはどういうことかと。あなたは即座に答えました。「自分の明日を自分の目で見ることや」と。そうして98まで元気に日々を数え、99歳は目前でした。百まで生きてほしかった。もっと歌を詠んでほしかった。
お父ちゃんが亡くなってから、あなたは歌を詠むのをやめたと言いました。
「もう歳やからな。突きつめて考えるのに疲れたわ。のんびり気楽に暮らすことにした」
と。でもあなたが亡くなってから見つかった日記には、たくさんの歌が残されていました。

〈お父ちゃん お父ちゃん お父ちゃん三回呼びました〉

そのほとんどがお父ちゃんのことを想う歌でした。さみしかったんやねえ。会いたかったんやねえ。
そうして、
「死というのは、健全な肉体が地球からぽとりと落ちて宇宙に還ること。人の命は宇宙の一部。そやしうちは死んだらあんたの、みんなの中で生き続ける。いつも一緒や」
そう言い残してあなたは永遠の旅に出ました。
あっという間に時間は過ぎぼくはいま、そのあなたの言葉を噛みしめています。
あなたは宇宙に還り、みんなの心の中に思い出として生き続けているのだと。
少々さみしくて悲しい夜は胸に手を当ててあなたを思うことにします。
「な、思い出さえあったらいつも一緒やろ」
あなたが夜空の向こうでそう言って笑っているような気がします。