父の魂

父が家業を店仕舞した直後のことだ。指物師(木工職人)だった父は「これも時代の流れやわい」と淡々と店を片付け道具を片付け、小さな店を手放した。後に残った道具たちは、新聞紙に包まれて倉庫の奥に仕舞い込まれた。「もう二度と日の目を見ることもないやろ。俺が逝ったら処分してくれたらええ」と。

父の命の時間が短いと知った後、僕はその道具たちを取り出した。もちろん処分するためにではない。ひとつひとつを写真に収めるためにだ。だが取り進めるうちに、わからなくなってしまった。道具たちの写真をなぜ撮っているのか、道具たちの写真で何を撮りたかったのか……。やがて父は他界した。

何もわからぬまま撮り続けたが、すべてを撮り終えてようやく見えてきたものがあった。ひとつひとつの道具に共通するもの、だ。それは、鋭く冷たい刃先でもなく、メカニカルなかっこよさでもない。強いて言えば、毎日毎日人の手が触れることによってできたてかり、艶のようなものだ。手沢(しゅたく)という言葉があらわすそれだ。それがなんとも言えない温かさを醸し出している。

道具たちはものを言わない。しかし言葉にならない言葉で伝えようとしているものがあると思った。気が遠くなるような長い年月をあたりまえのように使い続けた職人が、何を考え、何を思い、道具を手に木と向きあう日々を過ごしてきたのか。そのことだ。そこにものづくりに一生をかけた職人の魂、父の魂があることを教えてくれているような気がした。

それを、徹底的に知りたくて僕はずっと道具と向きあい続けている。

“父の魂” への1件の返信

  1. 手沢!いいことばですね。間(あわい )が意味するのと同じ内容、心が、根底で、繋がっていることかんじました。日本文化と言われる、根っこの霊なのかもしれませんね。

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