人からすれば、なんだそれ、と思うようなことだろうけど、今、これからの自分にどれほどの金をかけられるか、などということを真剣に悩んでいる。自分の残された時間に対する、投資対効果かな。かといって、預金通帳と眉毛をひん曲げながらにらめっこをしているわけではない。
自由業の身で、この歳で……。誰かが僕の残りの人生を経済的に支えてくれるわけではない。ましてや、身体が動くうちは社会のお世話になるつもりもない。だから徹底的に、死ぬまで働かなくてはならない身の上なのだ。できればわずかの身入りを次の仕事のためにつかい、前よりも少しだけ多くの身入りをめざす。その繰り返しをできる限り続けて行きたいのだ。非常に小さな拡大再生産だな。
でも僕の場合は、好きなことを書いたり、好きな写真を撮ったり、まあ言ってみれば好きなことをやって、人から見れば遊んでるみたいなことだから、これが働くことに、仕事をすることになるのかと問われれば、とても微妙で、それで稼ごうだなんて贅沢極まりない話だ、ということになる。結局は、遊びにかけられる金などないし、遊びで稼ごうなどというのは元来無理だという結論に到達する。
かと言って稼がないわけにはいかないので、人からどう評価されようが遊ぶように仕事を続ける。その結果、取材や撮影、執筆、働くこと自体に金がかかるので限られた金を何に使うかという、非常に厳しい選択を迫られるのだが、それを乗り越えて前へ進むというアドベンチャーが続くのである。考えてみれば、そこには効率などという物差しはなく、どうすれば楽しく、面白くなるかが選択の決め手だった。そんなことを繰り返し、今年で文筆業41年を迎えた。振り返ればずっとアドベンチャーだったな。これからもずっとこんなんだろうな。
ね、なんだそれっ! て話でしょ。
なんだそれ、じゃなくて羨ましくも思います。どしどし生産してください。清水さんの言葉を待ってる人もいます。すべてをフォローはできませんが、こうやって我が意を得たり、新しいことに気づかせてくれたり、楽しんだり。どうぞお体大切に😁