好きな店だった。夕方5時になるとトン太郎と黄色く染め抜いた暖簾がかけられた。真夏でもおかまいなく分厚い木綿の暖簾だったので、「暑苦しいな」などと大将に言ったものだ。すると大将はきまって、にこっと笑って「あれしかないよ」と応えた。店の中から薄青い灯りが漏れるように道を照らす。玄関脇のアコウの木が、ここが南国であることを教えてくれる。
種子島西之表市。その店は口数の少ない大将がひとりでやるモツ焼き屋だった。はじめて入ったのはもう20年くらい前になるだろうか。いや、そんなに経たないだろうか。隣で食堂をやる姉を頼って本土から渡ってきたと言ったが、ほんとうかどうかは知らないし、たしかめもしなかった。
種子島に行くと、幾晩か泊まるうち必ず一晩はこの店で過ごした。大したものも食わずに酒だけを飲む。金にならない客だが、それでも大将は、自分でとってきたカメノテや、知人にもらったという鹿肉などでもてなしてくれた。言葉を交わすことはほとんどなく、僕はただただ黙って酒を飲み、大将はテレビを見つめる。いい頃合いになると黙って金を払い席を立つ。「ごちそうさま」もなければ「ありがとう」もない。それが自然で心地よかった。
そろそろ種子島に行きたいな。そんなことをつらつら思っていた。久しぶりにトン太郎の大将に会いたいと。
だがそれは叶わぬ思いになった。
「トン太郎の大将が亡くなった」
トン太郎の間近に住む知人から連絡があった。誰にも気づかれずに亡くなっていたと。孤独死だ。姉という人が亡くなってから、昼は食堂を引き継ぎ、夜はモツ焼き屋を続けていた。だが孤独だったのだ。酒を飲みながらもう少し彼の話を聞いておけばよかった。彼の人生に関わって入ればよかった。めずらしくそんなことを思った。
好きな店だった。あの分厚い暖簾も、激しく照らす黄色いライトも、もう見ることはないのだ。
「残念だ。悲しいよ。なんで黙っていっちゃうんだ」
懐かしい写真にそうつぶやきかけてみた。
「何を言ってるんだ。あんただっていつも黙って帰っちゃうじゃないか」
大将が笑顔でそう言っているような気がした。
種子島の夜がさみしくなる。
日曜日の昼過頃警察官がチャイムを鳴らし訪ねてきた。
「トン太郎のご主人のことでお話聞かせてください。」
日ごろ顔を合わせたらあいさつ程度の付き合いで、特に親しくしていたわけでない。
昼は食堂、夜はホルモン焼きと働いていたので、町内会の行事にも顔を出すことなかった。
「病気とか聞いたことありますか?」の問いに、何かあったのか聞けば「お亡くなりになりました。」との返答。
結局、一人で死んでいるのを誰かが発見して通報したらしい。
食堂を以前に切り盛りしていた姉と同じケース。
これで街に3軒あった食堂が無くなることになりそう。昭和から続いてきた町が変わります。
お知らせいただきありがとうございました。驚きました。4月にあったときは、昼も夜もとても元気そうだったので。
古い店がなくなり、新しい店ができ、コンビニまでできちゃう。いいことだけれど、なんとなく儚さを感じますね。人の心というか、人情というか、そういうものだけは変わらないでいてほしいと思います。
トン太郎のマスターが懐かしくなり検索してたら驚きました。お亡くなりになったんですね…しかも、孤独死で…でも、マスターらしい最期だったような気もします。
私は、種子島中種子町の出身なんですが、縁あってマスターと知り合いました。潮の良い日にはマスターの車でよく一緒にナガラメやカメノテをとりに行きました。時には、船も出して頂き馬毛島などあちこちの海に連れて行って頂きました。楽しかったな〜。もう30年程前の話です。マスターは、孤独な自分をいつも自然に受け入れてくれました。私の海の師匠です。素敵な写真ですね!
久しぶりに、カメノテが食べたくなりました♪マスターのご冥福をお祈り致します。清水さんも、お身体大切にしてくださいね。ありがとうございます。
種子島のボクサー様
ご投稿ありがとうございました。ちょっと前から数えると、南国食堂が閉まり、日高食堂が閉まり、トン太郎が閉まり、みつわ寿司が閉まりました。新しい店はどんどん回転していますが、それ以上に寂しさが募ります。西之表も大きく様変わりしようとしているようですし……。