「そらあ、自分の親やさかいなあ」息子さんは笑って言った。
彼は90歳を過ぎた母親を姉弟で見守る。自営業を営む彼と彼の妻、さらに姉だけでは不可能だ。デイサービスやその他の介護サービスを使い、さらには他の家族の力も借りる。使えるものはすべて使う。
そんな話をしていると、デイサービスの送迎車がおかあさんを送ってきた。
車を降りたおかあさんに職員が言った。
「また明後日ね!」
そう言って彼が手を差し出すとおかあさんは応えるように小指を立てて手を差し出した。ゆびきりの仕草だ。そうして笑顔になった。それを見守る息子さんも笑顔になる。
送迎車を見送ってふたりは長い外階段の下に立った。
「おんぶしよか? 歩くか?」と息子さん。
「歩く」とおかあさん。
息子さんがおかあさんの身体を横から抱きかかえるようにして、おかあさんは厳しい表情で手すりを両手でぎゅっと握り、急な階段をゆっくり上っていく。2階の玄関に辿り着いたが、おかあさんの居室は3階だ。そこからは息子さんがおぶって階段を上がる。
上り口で母親を背負う、息子に背負われる。なぜだかよくわからないが、親子は強い絆で結ばれていると思った。おかあさんの表情には外階段を上がる時の厳しさはなく、安心するかのように落ち着いていた。
介護の負担を家族だけに背負わせるのではなく、社会全体で負担するという理念でスタートした介護保険制度だが、どうやらそんなにうまくはいっていないようだ。相変わらず家族は大きな負担を強いられるている。親の介護のために子どもたちが働けなくなったり、学校に通えなくなったりなどという話は後を絶たない。逆に介護される側でも、安住の家、終の住処が見つからない、行き場がない人々は少なくない。少子化対策としては子育て世代へさまざまな施策がとられようとしている。だが、この高齢者問題はどうなのだろう。高齢者は集団自殺すればいいなどという暴論を吐く学者もいるほどだ。それは有効な解決策がないことを裏付けている。
国に期待していては何も解決しない。だから子どもたちは仕事を辞めてでも、学校に通わなくても、なんとかして親の面倒を見ようとする。そこにはあきらめもあるのかもしれない。だから親も申し訳ないという気持ちになる。そうして家族の間に笑顔は消える。おたがいを思い合うからこそ消える笑顔もあるのだ。
だがこの家族は違う。おぶっておぶられて、親が自分の子どもたちを大切にしてきたように、子どもたちが親を大切にする。少々の苦労はあっても、いつまでも笑って暮らしたいから。