ほら、笑った

長い人生を一緒に歩いてきた老夫婦の話だ。妻86歳、夫84歳。夫は30歳を過ぎた頃脱サラして陶芸家への道を歩きはじめた。周囲はいい歳をしてと眉を顰めた。だが妻は、安定した生活を放棄し夢を追い求めた夫を全力で支えた。誰に師事することもなく、工芸研究所に通い窯業の基礎を学び、その後は独学で陶芸の道を歩んだ。やがて夫は窯を開き、さまざまな賞を獲て陶芸の世界で確固たる位置を占めるまでになった。
かつて夫婦は若かった頃をふり返りこう言った。
「夢はありましたけどね、お金はありませんでした」と妻。
「ほんとうに家内には苦労させました」と夫。
「だから」と夫は今こう話す。「家内へのお返しですよ。彼女の世話はぼくが全部します」と。

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笑顔を奪われて

笑いたいのに笑えない人もいた。ALS患者のマイクさんだ。
ALSはようやく解明が進んできた難病のひとつ。発症すると次第に全身の筋肉が衰え死に至る恐ろしい病気だ。確立された治療法はない。ALSだと診断されると、平均的な話だがおよそ2年から5年で死に至る。気管切開をして人工呼吸器をつけ呼吸管理をして20年以上生き続けたという例もある。しかしベッドの上に寝たきりで、微かに身体を動かすこともできず、コミュニケーションすることもできない。患者はただただ自分の中に閉じ込められるのだ。
マイクさんはALSと診断されてから、この「閉じ込め症候群」と呼ばれる状態を恐れ、その前に自ら命を断つ「安楽自死」を求めた。そうなれば恐ろしいほどの孤独に見舞われ、その上家族にとんでもない苦労を強いることになるからだ。だが彼の望みはこの国の法制度では決して許されるものではなかった。

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心底の笑い 

ぼくの母が入居していたホームで暮らしていた隣人の話だ。
彼女の家族は主治医から生きられてもあと2カ月だと告げられた。娘さんから写真を撮って欲しいと依頼があった。その日にあわせて孫たちも呼ぶからと。母と彼女は、人生のベテラン同士の友人だった。去年の正月は一緒にお祝いもした。その時は母も彼女も笑顔で鍋をつついていた。その人が寝たきりで笑うこともできないかもしれないと聞かされたが、ぼくはどうしても笑顔が撮りたいと思った。
ホームに着くと彼女はベッドに横になっていたが、その日は調子がいいということで車椅子に乗り替えた。話しかけるとちゃんと反応がある。孫たちがかわるがわる話しかけたり、からだを撫でたりしていた。話しかける者をしっかりした視線で見つめる。彼女はきっと笑える。きっと笑顔を見せてくれる。ぼくはそう思った。

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お母さん大好きだよ

彼女は87歳。10年前にアルツハイマー型認知症だと診断された。鹿児島市内の自宅に暮らしている。若い頃はアスリートとして活躍し、70歳を過ぎても仕事やボランティアに汗を流していた。
認知症だと診断された時、家族はにわかに信じられなかった。あんなに快活で元気だった人が……。そんな思いだった。だが病魔は確実に彼女を蝕んでいった。暮らしのすべての場面で誰かの手を借りなければならなくなった。さらに何度か脳梗塞の発作を起こし、今では車椅子が手放せなくなってしまった。
しかし、家族を含め周囲の献身的な介助・介護もあって、彼女の発症後の人生は決して不幸ではない。問題は、
「母の気力ですよね」
と娘さんは言う。
認知症は、物忘れが激しくなり、理解し判断することが難しくなり、身の回りのことができなくなる。さらに憂うつでふさぎこみ、何をするのも億劫になるという。あらゆることに対する気力が失われるというのだ。つくづく認知症は恐ろしい病気だと思った。

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期待以上の人生

「ぼくはずっとしあわせのはんたいがわにいた」
右足の親指でキーボードをひとつずつゆっくり打ち込み、機械の音声がそれを読み上げる。彼はそうやって会話する。彼は生まれた時から重い障害を持つ。車椅子でなら座っていることはできるが、自由に動くのは右足だけだ。もちろん言葉を発することはできない。
彼は絵描きだ。鹿児島県美術展に何度も入選した経歴を持つ。れっきとしたアーチストだなのだ。だが彼は「幸せの反対側」にいたのだ。「不幸だった」と言わないのは、献身的に支えてくれる家族がいたり、友人や作業所のなかまがいたからだ。
だけど世間の目は彼に対して厳しかった。「何もできない障害者」なのだ。社会で保護すべき存在なのだ。彼のことを知らない人は、彼が絵描きだと聞いてにわかには信じない。だが彼はれっきとしたアーティストなのだ。創作だけではない。絵を仕事としている。

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「笑う力」の意味

「笑う」ってすごく力のいることだと思う。なぜそんなことを思うようになったか……。
まず、自分の父親の最期を見てそう思った。末期の肺がんだった父はモルヒネを拒否した。最後までベッドの周りにいる家族、近しい人の顔を見ながら死にたいと。
「眠らされたまま、知らんうちに死ぬのは嫌や。ガンかてわろて死ねるんや」
と。かなり苦しかったと思うが、父はほぼ言葉通りに笑って逝った。
「笑う力」はどこから生まれてくるのだろうか。そんな疑問、思いが生まれた。その思いは次第に「笑い」そのものに向いていった。
いろんな人の暮らしの現場に入り、いろんな話を聞いた。そうして、

どんな逆境にあっても、どんなに悲しくて辛くても、人は笑う。笑う力は生きるエネルギーとなり、人は生きていく。

そう思った。

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僕の中身

夜中ふと目が覚めた。時計を見ると午前3時。そのまま寝付けなくなったので、星でも眺めてみようかと2階のベランダに出た。夜景が水彩画のように滲んでいた。霧だ。街灯のあるあたりは白く浮かび上がり、周辺に向かって少しずつ灰色が濃くなりやがて闇になる。遠くの街の灯りはさまざまな色に滲み、いつもの街並みはまったくわからない。そこにあるはずのものは何も見えない。霧の中で息を潜めている街を想像するばかりだ。

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家族の日常

2月の終わり大阪で〈「揺れて歩く ある夫婦の一六六日」最終章〉というタイトルの写真展をすることになった。そのこともあって版元の出版社では本に挟み込む栞をつくってくれることになった。父の死後、ひとりきりになった母が詠んだ歌20首と日記の一文、さらに僕から母へのメッセージという構成だ。

メッセージか……。母が亡くなってそんなに時間が経ったわけでもなく、母のこと、父のこと、家族のこと、いろんなことになかなかけりをつけられずにいるのに……。

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しみてつ10大ニュース2022

さて今年はどんな年だったか……、そんなことを振り返る時期だ。物心ついた頃から誰しもそんなことをしてきたのではないだろうか。1年を振り返って、来年はもっといい年にするぞと形だけでもつけるように。
ところが年をとってくるとどうだ。時間の経つのが速すぎて振り返っている暇もない。振り返ったとしても今年のことか去年のことか……。さっぱりだな。これを耄碌(もうろく)というのだろう。そんなことでここ数年、振り返るなどということをやめてしまった。
これじゃ老け込む一方だなと、はたと思った。ということで今年はやってみようかと。

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最高の笑顔、最強の居酒屋

環状線京橋駅から薄暗いガードを潜り、歩いて2分ほど。墓地を見下ろす道路の上にその店、京橋居酒屋とよはある。いわゆる店舗ではない。屋台でもない。厨房こそしっかりとした屋根と日除けのテントに守られているが、客が飲み食いをする場所は頼りなげな波板屋根に覆われているだけだ。露店といってもいいだろう。もちろん椅子などはない。そんな店に長蛇の列ができるのだと聞いて、面白半分で出かけた。まぐろの刺身やホホ肉のあぶり、うに、いくらなどがとびきり美味いそうだ。「最強の居酒屋」だと呼び声も。

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