彼女は種子島西之表市の国上でひとり暮らしをしている。集落の奉納踊りでは花形をつとめるほどの踊りの名手で、ゲートボールの名手。集落にはなくてはならない存在だ。
だが彼女はさみしいのだ。大勢いた子どもたちは独立し家を出ていき、夫には先立たれた。
週に2回デイサービスに出かける。時々診察のために病院に行く。時々離れて住む娘が顔を見にくる。それ以外は買い物に出かけることもない。誰かが訪ねてくるわけではない。楽しみにしていた奉納踊りもコロナ禍と後継者難で取りやめになった。再開の見込みはない。
「ゲートボール仲間もみんな年寄りばっかりやもんで……」
彼女はさみしいのだ。ひとり暮らしの家の中で黙々と時間を過ごす。いつの間にか笑顔は消えた。テレビでお笑い番組を見ても笑うことはできない。それでもデイサービスに出かけるとちょっとは楽しい気分になる、家に戻るとまた黙々と時間を過ごす。
「年寄りはみんなこんなふうに暮らしちょるのかと思うと……」
彼女はさみしいのだ。
だから誰かが訪ねてくるとうれしくて仕方ないのだ。だけど、ながく笑顔を忘れていたので、顔が強張ってどうやって笑えばいいのかわからない。お湯を沸かし、お茶をいれ、家中のお菓子を集めて客をもてなす。その頃になるとようやく自然な笑顔になる。
いろんな話をする。しかし話はなかなか噛み合わない。彼女は自分の日常を話そうとするが、そんなに話題が多いわけではない。病院に行く、デイサービスに行く、そんなこと以外に特別変わったことはないのだ。
「お茶飲みなさい。お菓子食べなさい。ゆっくりしていきなさい……」
彼女の笑顔は次第に複雑になっていく。笑っているのか泣いているのかわからない。
「もう帰るんでしょう。またきてね」
その時彼女の笑顔は泣き顔になっていた。
また黙々とした暮らしが戻ってくる。彼女の笑いは人によって呼び起こされる。
子どもたちは思う、離れて暮らしていても親は元気で暮らしている。元気でいれば、近所に友だちもいるし、けっこう楽しく暮らしているはずだと。
彼女はさみしいのだ。