母が入っていたホームの入居者から連絡をもらった。正確に言うと入居者の娘さんからだ。
「母が遺影にする写真を撮って欲しいと言ってるのですが……」と。
母が生前とても親しくしていたと聞いて、撮らせてもらうことにした。遺影用だなんて言わずに、今の写真を撮りましょうと。ホームと言っても特別養護老人ホームではなく、サービス付き高齢者専用住宅のこと。マンション住まいと何ら変わりない。必要なケアと24時間見守りのあるホームでの暮らしは快適で安心だ。予て母もそう言っていた。大勢で暮らすひとり暮らしのようなものだと。
部屋を訪ねるとおかあさんは緊張した面持ちで待っていてくれた。娘さんもすでに着いていた。
緊張をほぐすのにしばらく話をした。大勢で出かけた時のスナップはあるけれど、カメラに向き合って写真を撮ったことはないという。緊張するのも無理はないなと思った。話しながらゆっくりカメラを向けた。
「お母さん笑って!」
娘さんが言った。途端におかあさんの表情が強張った。そういえば部屋に着いた時から笑顔はなかった。「笑って」と言われれば言われるほどどうしていいかわからなくなる。そんな感じだった。
「お母さん、ちゃんと笑って!」
娘さんから声が飛ぶ。おあさんはますます困った顔になる。ぼくもちょっと吹き出す。「ちゃんと」って。
「笑っとるよ」とおかあさん。
「そんな難しい顔のピースって見たことない」と娘さん。
ぼくは母娘のやりとりにホッとしながらシャッターを切り続けた。
「笑えと言われると、どうやって笑うたらええのか思い出せんわ」
そうだよねと思った。笑いはつくるものではない。笑顔のつくり方なんてない。自然と出てくるものなんだ。
試しにと言ってみた。
「娘さんも一緒に撮りませんか」
娘さんがお母さんのそばに立った。おかあさんの表情が幾分和らいだ。そして次第に笑顔が出るようになった。
「そうだよねえ。一緒に写りたい人と写る。それだけでうれしいよね」
ぼくがそう言うとおかあさんはその日いちばんの笑顔を見せてくれた。
おかあさんも娘さんもその写真をずいぶん気に入ってくれた。
「私も写っちゃったから遺影にはできないよね」
娘さんは冗談めかして言ったが、おかあさんはその数カ月後静かに旅立った。
笑顔の写真は遺影のそばに飾られた。