池田バー@天文館, 鹿児島市山之口町
およそバーというものは……、と考えてみる。私の中にひとつの言葉が浮かぶ。「普遍」だ。時代が変わり、場所が変わり、人が変わっても、そこに流れる時間は変わらない。そこには人生を豊かにするための酒があり、出会いがあり、会話がある。そしていくつもの物語が生まれて消えて、また生まれる。物語の主人公は他の誰でもない。まぎれもなく「私」なのだ。あなたもそのひとり、私もそのひとり。バーはその物語の舞台なのだ。

チーフバーテンダー 織地大志さん
鹿児島にもそんな舞台のひとつがある。池田バーだ。故池田輝志さんが1962年にオープンした。その後荒川和博さんが受け継ぎ今年で63年が経つ。輩出したバーテンダーは多く、さまざまな場所で物語の舞台を設えている。その間も池田バーは人がかわり、客がかわっても同じ空気に包まれ同じ時間が流れている。
私にはここで必ずオーダーするものがある。マティーニだ。荒川さんのつくるマティーニは格別なのだ。マティーニといえばジンとドライベルモットベースにしたショートカクテル。世間ではカクテルの王様などと呼ばれているらしい。たしかにシンプルだが奥行きはとても深い。10人バーテンダーがいれば10通りの味がある。ふたつの酒の比率、氷の量、ステアする回数、微妙な違いで微妙に変化する。それ故バーテンダーの腕が試されるのだ。

ドライマティーニ。キュウリは池田バーのオリジナル、ロシア漬け
若い頃はベリードライ、つまりベルモットで氷を洗った程度でジンを注ぐという強いマティーニが好きだった。好きだと言っても味などわからなかったのだ。強いマティーニをクッと空けるのが一人前の男だと思っていたのだ。イキがっていたわけだ。だが歳を重ねるにつれその味の深みにはまり、強いだけではない味を求めるようになった。その終着が池田バー荒川和博のマティーニだった。おかげでようやく酒の味がわかるようになってきた、気がする。もうひとつ、毎年7月4日以降にしか楽しめないフローズンダイキリだ。そう、池田バーではヘミングウエイの命日を待たなければならないのだ。こういう設定も舞台にとって大切な仕掛け。すべてが物語のための設定なのだ。

フローズンダイキリ
時に荒川さんは厳しい人と評される。バーにはそれぞれ矜持というものがある。誇り、プライドと言い換えてもいい。それを守るためにいささか好まれざる客、わがままな客には少々厳しいからだ。もしそう感じる人はその舞台での自らの振る舞いを思い起こせばいいだろう。
そして63年間大切にされてきた言葉がある。
“Candy is dandy but liquor is quicker”
「キャンディは素敵だけど、酒の効きはずっと早い」
アメリカの詩人オグデン・ナッシュの言葉だ。キャンディの甘さ(無邪気さ)より酒の強さの方が人間の欲望には早く効く。そんな意味だろうか。酒飲みへのユーモアを込めた揶揄とも戒めとも読める。池田バーのコースターにはこの言葉が刷り込まれている。自分を忘れるまで酔うなと囁かれているようだ。酒とはゆっくり時間をかけて向き合うのだ。
舞台にはひとりで上がるのがいい。美味い酒と自分だけの物語に浸る。主人公は「私」というあなた。さて今宵どんな物語が描けるだろうか。

“Candy is dandy but liquor is quicker” の文字が……

ドライマティーニはロックでもイケる

池田バー
鹿児島県鹿児島市山之口町10−20
月〜土:18:00~翌1:00
日:定休日
TEL:099-223-6833