MARIKO

彼女は76年間重い障害と向き合い人生を歩んできた。
父親が亡くなり、母親が亡くなり、兄弟が逝き、天涯孤独となっても前向きに歩み続けてきた。働き、詩をつくり、愛し、人をつないできた。大勢の支えを得て、自立した人生を生きてきた。その在り様は大きな共感を呼び、人を呼び、繋がることの大切さそのものを顕してきた。

だがさらなる試練が彼女を待ち受けていた。不治の病、癌に魅入られたのだ。その報を聞いた時、なぜ彼女が、と思った。あまりにも過酷ではないか、と。あまりに不公平ではないか、と。

自分にできることはないかと考えた。だが、できることといえば、カメラをぶら下げて訪い、その姿をとどめることしか思い浮かばなかった。そういえば父の時もそうだった。ただただ父にカメラを向け、その姿を撮り続けた。だけど、心のどこかに父とはいえ他人事だなという思いが見え隠れしていた。ほんとうに寄り添うことなどできるのだろうか、と。その答えを見つけるためにも撮るしかないな、結局はそう思って彼女のもとへ出かけたのだ。

彼女はすでに言葉を発することもできなくなっていた。末期癌だった。全身の痛みに耐え、眠っているかのように見えた。呼びかけに答えて目を開けてくれた。何を話していいかわからなかった。20年近く前にいっしょにアラスカを旅した時の思い出話やどうでもいい世間話をしたが、こんな話をしにきたのではないと自分が情けなかった。

ふと彼女の左手に目が止まった。それは力を込めて、ぎゅっと握られていた。
「ああ、この手だ」と思った。
彼女に会うたびにその手をずっと見てきたのだ。それは他のだれの手よりも小さくか弱いが、圧倒的な力強さがあった。
76年間生きてきた力強さが秘められている。これからも生きていこうとする力が込められている。そう思いながらシャッターを切り続けた。

(これらの写真は関係者各位の了承の下、深い哀悼の念をこめて公開いたします)

 

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