私たちはこころの底からありがとうと思える出会いを探して、
日本中、世界中を駆け回っています。
旅先の出会いの中で見つけたあんなことこんなことを、
あなたにそっと伝えたい。
そんな思いでお待ちいたしておりました。
出会えたこの日がいい日です。
昨日もとってもいい日でした。
今日ももちろんいい日です。
明日はもっといい日かな。
日日是好日
あなたに出会えていい日です。
コーヒーの1杯もさしあげたいところですが…..
どうぞごゆっくり。
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清水哲男事務所は文筆家であり写真家である清水哲男を中心に、指先からあたたかさを伝えるようなコミュニケーションをめざしています。
【清水哲男のプロフィール】
清水哲男(しみず・てつお)
1954年(昭和29年)京都市生まれ。生家は6代続く京指物師の家。家庭内・家族間の諸事情により2年間無戸籍で過ごす。無戸籍状態が解消されたのは1956年(昭和31年)だった。
生年に関しては著作のプロフィールなどに、1954年、1956年の表記がある。この件に関して清水は、
「私は当事者ですが、幼い頃のことで、実際何が起きていたのかよくわからない。ただし、戸籍上は1956年となっています。母からは『あなたは私が30歳の時の子ども』と言われ続けてきました。母は大正11(1924)年生まれで、私は54年生まれということになる。家庭内・家族間の諸事情というやつが母にそう言わせ続けたのだと思います。そのことを『少年ジェットたちの路地』を引き受けてくれた風媒社社長稲垣喜代志さんに話すと、『家庭内・家族間の諸事情も書き続けるテーマになるだろうし、書き続ける中で明らかにしていくというのがいいと思う』ということで、プロフィール表記は1954年としました。以来それが引き継がれているわけです」
と話す。
清水自身も家庭内・家族間の諸事情に半ば翻弄され、早くに家を出て自力で生きる道を探ったという。その後同志社大学文学部哲学及び倫理学専攻卒業。卒業後はアルバイトをしながら各地を放浪。1980年頃より執筆活動をはじめる。京指物の仕事を継ぐことなく、家業は6代で絶えた。
1997年より鹿児島市在住。
常に野に在り、市井の人々の暮らし、労働の現場に入って日常を共にすることで得た実体験を頼りに思考し、ドキュメンタリーを書き続けてきた。追い求めるテーマは〈現実的な存在としての人が生きる姿を直視する〉。それまで〈記録〉として撮り続けていた写真を、2000年頃から独自の表現手法として、その可能性を模索し続けている。2014年より鹿児島、大阪、京都で写真展を開催。そのひとつの到達点が「揺れて歩く ある夫婦の一六六日」である。
40年の執筆活動で著書は40タイトル以上になる。
2020年には故郷京都に清水哲男事務所・京都を開設。京都をひとつの拠点として活動の領域をひろげています。