むやみに教えたくない

鹿児島でこのことを書こうと思って、ずっと機会をうかがっていた。が、書くにふさわしい店になかなか出会わなかった。”このこと”というのは……。ちょっと話を変える。

いったいこのごろのグルメブームには辟易とさせられる。誰もが、やれどこの何がうまいとか、あれを食うならどこだとか、自分こそが当代きっての食通だと言わんばかりだ。そういう輩にかぎって贅を尽くしためっぽう高いものしか食っていない。どうやら高いものを食うのが食通だと勘違いしているようだ。

彼の魯山人先生も言っておられるが、うまいものとは素材を生かせばよいということだ。つまりよい素材を選べと。しかし、よい素材を選べばそこそこ高くなるのはあたりまえの話で、問題の核心はそこにのみあるのではない。だって、よい素材を選ぶことがすべてだとなると、金さへ払えばどんな店だって同じようなものが提供できるということじゃないか。残念ながらそうはならない。

めっぽう高いもん食って、うまい、自分はグルメだという人に意地悪な質問をする。いったい何がどううまいのか、と。残念ながら返ってくる答えは、素材の味を生かしている、という程度のものだ。それじゃあダメだ。答えになっていない。うまい、とはいったいどういうことなのか。料理を出す側も、食べる側も、それがわかっているのかどうか。そこが問題なのだ。

大切なことは「拵え(こしらえ)」がしっかりしているかどうかだ。「拵え」、これは世界観だと言っていいかもしれない。料理は目で味わい、舌で味わうとよく言われる。このことすら勘違いしてかかる人が多い。舌で味わうというのはまあいいだろう。では目で味わうとは……。これは、器や盛り付け、彩などを楽しむことだと思い込んでいる。そういう人に世界観などという言葉を使ってもわからないかもしれないが、これがわからない人には、まず料理はわからない。

目で味わうとは、料理と器で拵えられた造り手の世界を見抜くということだ。料理を出す側は、うまいものをいかにもうまく拵え、食べる側はその拵えを見抜く。そうして後、舌で拵えを確認し、料理人の世界観を体内で再現する。それがうまい料理の秘訣だし、料理をうまく食べる秘訣なのだ。
「いやはやそれじゃあまるで哲学じゃないか」
そんな声が聞こえてきそうだが、そのとおり、料理は哲学なのだ。哲学があるかないかで、金さへ払えばどんな店だって同じようなものが提供できるということにはならないのだ。

では料理をする人間は、普段から小難しい理屈をこねながら料理をしているのかというと、優れた料理人ほどシンプルにやってのける。客に対して料理のなんたるかを切々と語る料理人、わけのわからない蘊蓄を客に押し付ける店ほどややこしいものはない。魯山人先生はおよそこんなことを言っている。
〈みなさんはかつおぶしの良否を目で見てわかるだろうか。だし昆布の鑑別ができるだろうか。味噌の良否、醤油の良否と種別、酢のよしあしと色別、香り別、油、塩、砂糖、日頃そういうものの味を吟味してかかっているか。こういうことを面白くないというのでは、料理に向上を求めることは無理だ。どんなに良い素材を得ても、生かして用い得ず、わざわざ本質を殺してしまうこともある〉
これは理屈でわかるというものではない。繰り返し見て、触れて、味わって、素材と組み合わせて使い、料理することで、わかってくるものなのだ。そこに道理が見えてくる。
〈元来「料理」とは、理を料(はか)るということなのだ。「ものの道理を料る」意である〉
と。こういうことがわかった上ではじめてしっかりとした拵えができるのである。

この店、橙(だいだい)の料理を口にして、久しぶりにそんなことを考えた。何かにつけてちゃんとしているのだ。それはさりげなく置かれたガラスの醤油差しがピカピカに磨かれているような、細やかなことも含めてだ。何回か通って、その拵えに唸ってしまった。

たとえばもずく酢。どこで食べても甘酸っぱくて、いったい何を味わったらいいのかわからないことが多い。だが、ここのは全く違った。甘酢ではなくだしの香りの効いた土佐酢を使い、酸味の足しに梅肉を合えた自然薯を添える。もずくが海藻であることを思い出させてくれた。

地鶏のタタキは自家製の柚子ごしょうを添えて。柚子ごしょうは緑でも赤でもない。それこそ橙色なのだ。完熟する前の唐辛子を使い、辛さよりも香りを大切にしているようだ。鶏皮酢はポン酢で。もちろんポン酢も自家製だ。酢を抑え、香りを引き出し、素材の持ち味を邪魔しない。

夫婦で店を切り盛りするが、料理は奥さんの仕事だ。彼女がどこで、どんなふうに料理を学んだのかはわからないし聞こうとも思わない。しかしすべての拵えが理にかなっていると思った。他の誰かや店と競うのではなく、自分だけの味を見つめ、深めていく。そんな感じだ。それがこの夫婦、この橙という小体な店の拵えなのだろう。その拵えが微に入り細に入り行き届いている。何かうまいものが食いたいと思ったら、自然に足が向く店になりそうだ。

ところで、4月から居酒屋、料理屋を舞台にしたテレビ番組を持っている。カウンターでいろんな話をするのだが、事務所のスタッフはこの店を収録の場にするなと言う。それはぼくも同感だ。この店は、拵えのわからぬ人にはむやみに教えたくない。

 

「むやみに教えたくない」への6件のフィードバック

  1. いつも楽しく読ませていただいています。ありがとうございます。今回、このお店は行きたい、近くにあると嬉しいと特別に強く思いました。わたしは簡単に食べに行けませんが、美味しい料理を楽しんでください。鹿児島へ行く時は、このお店に是非行きたいと思います。

    1. 友野さん

      ありがとうございます。鹿児島においでの際はぜひご一緒させてください。

  2. 好いですね~、こんなお店。
    島の素材を届けたいと思いました。
    きっと活かした料理が出てくることでしょうね。

  3. 鹿児島出身、横浜市在住の52才男性です。ふるさとを出て30年弱になります。
    幸せそうなご夫婦がふるまう料理、生きる糧になりそうですね。羨ましいです(笑)。
    これからも貴重な情報発信よろしくお願い致します。

    1. 守屋様

      ありがとうございます。
      本当にいいお店、いいご夫婦です。ご帰郷の折はぜひw

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