「羅漢  The street rakan」

秋に予定している写真展のタイトルをほぼ固めた。
これまでずっと撮り続けてきた blues、そう野良猫たちの肖像だ。すべてを超越したかのような彼らを、ぼくは表向き「blues」と呼び、内心では「羅漢」と崇めていた部分もあった。他の人の目にはどう映るかを知りたい、と思ったのがこの写真展をやろうと決めたいちばんの動機だ。

「羅漢  The street rakan」

フレームはどうするか……。そう考えた時、彼らの住環境に近い状況で見られるようにするのがいいかなっと思った。で、事務所は今あちこちで拾ってきたダンボールであふれている。

靴の空き箱でつくった厨子。釈迦三尊像に見立てる。
中央は釈迦如来、右に文殊菩薩、左に普賢菩薩…….
折り畳んで持ち運び可w

ダンボールでフレームを試作。箱の底に張り付いた親子。

ということで、散々な週末です。

いや、まいった。
夜中に激しく咳き込んだ。年なんだろうなあ、最近咳き込むことが多い。こういう場合、胸を張って、そっくり返って咳き込むということはまずない。前かがになって、腹筋に力を入れて……。
咳き込んですぐだった。腰のあたりに妙な感覚が走った。痛みではない、なんとなく上半身がズレるような。しまった!と思ったが遅かった。ぼくのからだはそのまま固まってしまった。しばらくそのままの体勢を保ち、息を整うのを待ち、ゆっくりからだを伸ばして見た。やはり……。腰に激痛が走った。ああ、ぎっくり腰だ(汗
なんだかんだと予定がつまり、痛みが取れるまでゆっくり養生しているなどという場合ではない。朝一番にタクシーを呼び整形外科へ。しかし……。
「太りすぎですね、仕方がない、痛み止めと湿布を出しておきますから、しばらく様子を見ましょう」
あのなあ、俺は忙しっつーの、だから病院にきたんだよ! 心の中で絶叫するも、「太りすぎです」という殺し文句にぐうの音も出ない。
ということで、散々な週末です。

少々不安ではある……。

見渡せばはなももみぢもなかりけり浦のとまやの秋のゆふぐれ

これは新古今和歌集に収められた藤原定家の有名な歌だ。ここから店名をつけた「とまや」という小料理屋がある。店主の大脇孝一郎さんは料理の修業をしてきたというから小料理屋と言っていいだろう。彼は種子島の出身なので、かどうかはわからないが、うまい魚を食わせてくれる。昨夜もトッピー(トビウオ)の一夜干しをさっと炙って出してくれた。鹿児島のど真ん中にありながら、日本酒をうまく飲ませてくれる数少ない店のひとつだ。そういうことをよく知っている常連客で賑わう侮れない店だ。

5月の「ニュースな居酒屋」はここで収録をする。放送は25日(木)の18時30分前後だ。話よりも酒に傾きそうな気がして、少々不安ではある……。

Love & Peace!

取り立てて語るべきことのない日だった。1年に数日こんな日がある。これは休息をしなさいということなのかもしれないな。そう決め込んでダラダラした。が、こんな日はビールもうまくないな。平穏で静かでビールがうまくない日だ。でも英語では”peaceful”って言うんだね。こんなふうに1年中、peacefulでbeautifulな日が続けばいいな。

北朝鮮の人たちは大変だろうな。きっと”peaceful”なんて感覚、わからないだろうねえ。それに合わせて緊張を高めてる人たちも大変だ。ぼくは「能天気だな、ミサイルが降ってきたらどうするんだ」って言われるかもしれないけれど、ゆっくりのんびり生きていくよ。

Love & Peace!

激しく降る雨を眺めながら

昨日から今朝にかけて、鹿児島は激しい雷雨に見舞われた。JRのダイヤが乱れ家に帰り着くのに大変だったとか、浸水などの被害に会われた方がおられたかもしれない。

自然災害というのは、実際に被害にあったかどうか、あるいはどの程度の被害を受けたかだ、記憶に残る大きさ、深さは違う。たとえば鹿児島の人に身近な自然災害はと聞くと、「平成5年の8月豪雨」ということになるだろうか。姶良の人は8.1水害、鹿児島市内の人は8.6水害ということなんだろ。近所のお母さんたちも鹿児島市に大雨洪水警報が出ると、「8.6(はちろく)水害のようにならなければいいけど……」とよく口にする。
「おそらくそれは、その災害が身近だったということだろうなあ」
隣の酔客がテレビを見上げながらつぶやいた。

身近ってどういうことなんだろうと考えてみる。自分の手の届く範囲、目で見て実体験できる範囲……。う〜〜む。反対に考えてみる。「身近な災害」の反対は「縁遠い災害」? 「疎遠な災害」? う〜〜む、いずれにしても縁遠い災害とか疎遠な災害とか、そんなもんあるのかと思う。ということは、実は「身近な災害」などというものはない、つまり、災害に身近もクソもないということだ。災害はどこで起こっても災害だし、誰が被害を受けようとも被害なのだ。決して他人事ではないのだ。

自分に問いかける。これまでどれほどの自然災害を目の当たりにしてきたか。どれほどの人為的な災害、事件を経験してきたか。その度に言われてきた「決して忘れてはならない」という言葉は本当だったのかどうか、と。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる、だ」
再び酔客がつぶやく。何が、誰の喉元を過ぎたというのだろう。最初から他人事じゃないのか。そう。災害被害や事件被害に、身近だとかなんだとか言うのは、最初から他人事だということだ。

何もかも他人事にして、災害避難者を差別したり、いじめたり……。
福島からの避難者が、誰に迷惑をかけているというのだろう。帰らないのは自己責任だって。いちばん迷惑を被ったのは、暮らしたいまちで暮らせない彼らじゃないのかな。想像してみたらいいよ。自分のまちからいちばん近くにある原発が事故を起こしたらどうなるか。それでも自己責任でそのまちに居続けられるなら、あなたはそこにいればいい。でもこれは特別な地域の話じゃないよ。日本本土どこに住んでいても福島と同じリスクを背負っているんだ。って、実は福島は身近な問題なんだよ。自分は関係ないと思っているあなたが、結果的に災害の被害を大きくするのだ。

激しく降る雨を眺めながらそんなことを考えた。

自分から目をそらすなw

自分のことだけに集中したいと思った。人のことはどうでもいい。人の評論もどうでもいい。ただただ自分を自分がどう見るか。それが問題だと思った。その自分ってやつを確立するのに、60年以上悪戦苦闘してきたんだと思う。
だから、俺は人をほめたいと思う。どんな人だって、一生懸命生きてきたんだよ。いい悪いは別にして。そのことはほめられていいと思う。

自分から目をそらすなw

年をとるって悪くないな

年をとって、若い頃のようにできないことが少しずつ増えてきた。だけど、若い頃にできなかったこと、わからなかったことが、少しずつできるようになったり、わかるようになってきた。人は年をとれば衰えてくるが、それでも発達しているということに気づいた。まあ、ぼくの発達なんて大したことはないけどね。年をとるって悪くないな。

そこんとこよく考えようね

最近気になること。それは右と左ってこと。いや、左と右ってこと。それもネット上の話ね。左巻きとかネトウヨとか、なんだかバカにし合ってさ、全然まともな議論にならないんだね。しかも名前も顔もさらさずに、人のことをどうのこうのって見てらんない。
ぼくはネット上でそう言う話をしないようにしている。政治や法制度や事件の話に触れることはあっても、それはぼくの独り言のようなもので、政治的な背景を持った意見の表明などではない。もっと単純な皮膚感覚の話だ。誰かと対立することもないし、敵対しようとも思わない。もしするとすれば、権力に対してくらいだ。右であろうが左であろうが、権力は嫌いだ。それだけだな。
だって、ちょっと考えてごらんよ。右だ、左だって言うなら、どんどん右に、どんどん左に行きなさい。地球は丸いんだよ。右に行けばもといた左に戻ってくる。左に行けば右だ。そこんとこよく考えようね。

「私、ひどい顔してますから!」

またまたまいっちゃった。
ぼくが撮る写真の大半は人の写真だ。まあ路上写真なんて言うからには人の写真が大半になってあたりまえ。だから SNS とかで公開する場合や写真展で展示する場合には事前にお願いして了承を得るようにしている。本にする場合ももちろんだね。得られなかったらどんなにいいと思う写真でもお蔵入りになる。それも仕方のないことだ。

事務所の公式HP の開設にあたっては、Gallery の中に「Kagoshima Serenade」という天文館を中心にした人々の風景を集めたページをつくったんだけど、それについても公開をお願いして了承を得た。
がただひとり「NG!」という人が。なんとフレンズFM「清水哲男の鹿児島裏表」で10年来相方として付き合ってきた竹原志保嬢だ。
「私、ひどい顔してますから、さらせません!」
と。そうかなあ。ぼくはチャーミングだと思ってるんだけど、チャーミングっていう言い方がすでに古いか。
てなことで、ここでも写真見せられません。