枕崎市 鰹節のふるさと

よく晴れた日の枕崎が好きだ。
その日もそうだった。まち全体が透き通るような空気の中にあり、海は青さをいっそう輝かせていた。
枕崎でいちばん海に近い台場公園。ここからの東シナ海の眺めが好きで、時間ができると海を見ながらぼうっとする。晴れた日には開聞岳はもちろん、遠く日本本土最南端の佐多岬、さらには三島の島々がきれいに見えるんだ。時間がゆっくり流れているようで、とても心地いい。
駐車場に車を駐めてようとした時、ちらっと海が見えた。
「おや?」
普段は見えない島影が見えた。まさかと思いながら車を降り、海岸縁の遊歩道に出た。すると、見覚えのある竹島、硫黄島、黒島という三島の島々の向こうに、一際大きな島影があった。屋久島だ。しかも宮之浦岳の頂上まで雲ひとつかからない完璧な姿だった。種子島からでもなかなかこうは見えない。うれしくなって延々とシャッターを切り続けた。

シャッターを切り続けていると、1人のおばさんが近づいてきた。
「枕崎に40年いるけど、屋久島があんなにきれいに見えたのははじめてだ」
「そうですか。ぼくはたまにしかこないのでラッキーですね」
「だね。お兄さん写真撮る人? あたし撮ってくれない。屋久島を入れて」
「いいですよ。でも、屋久島がお好きなんですね」
「生まれが屋久島なのよ……」
うれしそうにそういうと突然激しく咳き込んだ。
「大丈夫ですか。屋久島があんまりきれいに見えたんで、興奮しちゃった?」
「喘息持ちなのよ……、だから興奮して息が上がるとすぐ咳き込むの」
彼女は歪んだ笑顔で言った。ぼくは咳が収まるのを彼女の背中を撫でながら待った。
「ごめんね、お兄さん……」

そこへもう1人おばさんが現れた。2人は顔見知りだった。お互いに軽く挨拶を交わし、世間話のようにお天気のこと、屋久島のこと、三島のことなどを語りあった。
屋久島のことになった時、写真を撮ってくれというおばさんは、故郷のことだからだろう。熱心に熱心に語った。
「あそこが一湊。あっちは昔下屋久って言ったんだ。真ん中のいちばん尖ったのが宮之浦岳。2千メーター近くあるんだよ……」
「さすがに詳しいわよねえ。故郷だから」
「だよねえ。故郷だからね」
「ちょくちょく帰ってるの?」
「いいや、40年、一度も帰ってないよ。こんなに近く見えると泳いで行けそうなんだけどね」
おばさんは少しだけさみしそうな表情になった。

おばさんたちと別れて、公園のすぐ北側の街並みに足を踏み入れた。恵美須町、旭町、新町というあたりだ。さらに北へ進めば港町、中町、泉町と続く。ここは鰹節のまちだ。大小多くの鰹節製造工場が鰹節をつくっている。それでも昔に比べれば軒数は減ったということだ。
通りにはマキを焚く煙と香ばしい香りが漂う。青空に上りやがて消えていく煙を追いかける。家並みこそ時代により変われど、煙の舞は400年以上も日々繰り返されてきた。ここは日本一の鰹節のまちなのだ。

折しも和食が世界遺産に登録され、空前の出汁ブームが起こり、鰹節は世界的に注目を集めている。産地はずいぶん活気づいていることだろうと思ったが、まちは静かだった。考えてみれば歴史と伝統に裏打ちされたものづくりの現場などというものは、少々のことで浮き足立ったりはしないものなのだろう。
工場前の路上に車座になって会話を楽しんでいる人たちがいた。休憩時間なのだろう。カメラを向けると笑顔が返ってきた。「こんにちは」と声をかけると、「コ・ン・ニ・チ・ハ」とたどたどしい日本語が返ってきた。最近では中国、フィリピン、ベトナムなどからの研修生が多いと聞いた。伝統的なものづくりの現場の多くが抱えている「人手不足」という問題が背景にある。この国の伝統は、海外からやってきた若者たちの労働で支えられているのだ。

実際に鰹節をつくっている現場を見たくて、見学コースのある的場水産を訪ねた。こちらでは工場2階に設えられた見学コースから、ガラス越しだが製造工程を見ることができる。ここではその工程の一つひとつを具に説明することはしない。興味のある方はぜひご自分の足で訪ね、目と耳で体験していただきたい。事前に連絡さえ入れておけばいつでもOKだ。

黴をつける前の荒節で完成までに4週間程度、黴付けを経た本枯れ節になると少なくとも6カ月を要する。鰹節というと手軽な削り節のパックを使う人がほとんどだろう。だがあのパックだけを見ていると、それだけの時間と手間がかかっているとは信じ難いのではないだろうか。だからこそ、鰹節や出汁に興味のある人は是非製造の現場を見て欲しいと思う。

しかも、そこには荒節、本枯れ節といった鰹節だけではなく、実に様々な魚を原材料にした節がつくられていることにも驚かされるだろう。いま話題のあご節、さば節、いわし節、しゃけ節、まぐろ節、はも節……。あなたはどれくらいご存知だろうか。
せっかくだから、的場水産の直販所伝承工房鰹家でお土産を。何をゲットしたかはこちらから。

さて散歩の最後は、枕崎のシンボル立神岩を目前にする火之神公園へ。ここからの眺めは薩摩半島屈指の雄大な景観だと言われている。
沖には古くから漁業繁栄の守り神として地元の漁民に崇拝されている高さ42メートルの奇岩「立神岩」がそそり立つ。夕景の美しさはまた格別だ。枕崎の散歩を終えるにふさわしいスポットだろう。
ああ、いい散歩だった。